●● 友達ごっこ --- ありのままのあなた ●●
「あつーい、あつーい、あっつーい! ……こないだまで雨がざーざー降ってたのに、今はお日様ギラギラー。……ねー小椋っちー、冷たいお茶か何か、あるー?」
向井さんは椅子をこちらに向けて、机に頬をぴったりと付けて、項垂れている。わたしはピンクの水筒に入れたお茶を注いで、彼女の前に置いた。
「どうぞ。氷は溶けちゃって、ないけどね」
言うが早いか、向井さんは顔を上げて、一気にそれを飲み干す。中年のおじさんみたいに、ぷはーっなんて言いながら。けれどすぐにまた机の上に項垂れてしまった。
「ありがとー。でもこう熱いと、ハル、脳みそまでとろとろ溶けそー。……あーあ、こんなことならレンレンと一緒に、水泳部に入ればよかったなー。そしたら、プールに入り放題なのにー」
「でも、……泳げないんでしょ?」
「そーだけどさー」
蓮子が水泳部に入って、もう既に一ヵ月ほど経った。初めに蓮子にそれを打ち明けられたとき、わたしは猛反対した。水泳部に入るからには、水着姿にならないといけない。それは蓮子の腕の傷痕を、みんなの前で曝さなければならないということで――。
何かを始めてみたいんだ――そう言った蓮子の気持ちは分からないでもない。でも、どうしてよりによって水泳じゃなくちゃならないのか。自ら傷を曝さなくても、他に手段はあるだろうに。
けれど、蓮子は敢えて自分に厳しくなったのかもしれない。傷痕を白日の元に曝すことによって、自分の弱さを無くしたかったのかもしれない。
「いいじゃん。蓮子サンが自分から変わりたいって思ってるんだから。水泳部なら俺もいるし、大丈夫だって」
そんな哲己くんの一言もあって、蓮子の水泳部への入部は決まってしまった。
実際、水泳部に入部して、いろいろと言ってくる輩はいたらしい。けれど蓮子は、未だにわたしにはなかなか弱いところは見せてくれない。誰に何と言われようと気にならない、とにっと笑うだけだ。
それが本当の強さなのか、強がりなのかはわたしには分からない。けれど、それでもいいんだと思う。始めは強がりでも、それを本当の強さにするために、今彼女は精一杯戦っているんだから。
わたしには、ただただ見ていることしかできない。でも、蓮子もわたしも、一人じゃないから。
実のところ、わたしは蓮子に愛されてる自信がかなりある。だって、蓮子にとってわたしが本当にどうでもいい存在なら、叱ってくれるはずない。お湯が零れそうになった時、庇ってくれるはずがない。
まあ例によって、こんなことは本人には到底言える筈がないけれど。
それからこの頃、蓮子は外泊をしなくなった。今は恋人もいないらしい。この間出来た新しい恋人とも、意図的に自然消滅したそうで。冗談めかして、当分は永久だけで十分――とも言っていた。
最近は教室で向井さんと二人、蓮子と哲己くんの部活が終わるのを待ってるのが日課だ。この頃わたしたちは、やけに仲が良い。いつからだろう――そう、あれは確かわたしが勲雄に会いに行った日からだ。
わたしと蓮子が寮に帰ったのは、門限を一時間過ぎてしまった午後十一時。入口で真っ青な顔をした哲己くんと向井さんが待っていた。向井さんは蓮子の火傷のお見舞に来たものの、いつまでも留守のままだったので、不安になって哲己くんを呼んだのだ。何も言わずに出ていったので、相当心配させてしまったらしい。
「ハルが泣きながら電話してきた時は、心臓が止まるかと思った。俺が突き放したせいで、二人が……なんてさ」
今でも何かあると、哲己くんはあの時の話を持ち出す。彼には悪いけれど、何だかんだ言いながらも蓮子とわたしを心配してくれていたことが分かって、何だか嬉しかった。(もちろん、本人には内緒だ)。
髪をぐしゃぐしゃに振り乱して、わたしたちが帰ってきたことを心底喜んでくれた哲己くん。その時の彼を見た瞬間、ああ、この人を好きだな、と素直にそう思った。
その後、すぐに向井さんに抱きつかれて、泣きじゃくる彼女を宥めるのがやっとだったから、哲己くんとはゆっくり話せなかったけれど(ちなみに向井さんは、すぐに泣き疲れて寝てしまった)。哲己くんたちが帰った後、携帯電話を見ると彼からのメールがメモリー最大まで入っていた。それは今ではわたしの大切な宝物の一つだったりする。
ともかく、未だに哲己くんとのメール交換は続いているんだ。
「あっつーういー、しーぬー」
向井さんは下敷きをうちわ代わりに仰ぎながら、相変わらず項垂れている。その表情を見ながら、ふと思い出したことを尋ねてみた。
「そういえば、向井さんって年の近いお姉さんか妹はいる?」
「いなーい。ハル一人っ子だもん。でもねー、イトコなら同級のコが一人いるよ。雅ちゃんていうの」
やっぱり。あの日、最後に少しだけ見たミヤビちゃんは、髪型は違っていたものの驚くほどに向井さんにそっくりだったから。
「んー? 雅ちゃんと友達なの?」
「ううん。違うけど、――今ならきっとそうなれる気がする。同じ人を好きになったんだから。……今度、会ってみたいな」
「ずるーい、ハルも!」
「え?」
予想外の言葉に彼女を見ると、向井さんは顔を上げた。ツーテールを大きく揺らしながら。
「知らなかった? 確かにハルはレンレンも好きだけど、小椋っちにもラブラブなんだから。もちろん、雅ちゃんもね」
なんだか心に温かいものが広がっていく。
「じゃあ蓮子も誘って、三人で会いに行こう」
「やったぁ! どこ行く?」
「カラオケ……が、無難かな」
「だめだめ。レンレンの歌――すっごいんだから」
「そんなにも上手なの? あ、でも蓮子って歌も上手そうだよね。声もきれいなメゾソプラノだし」
「違うよぅ。逆、逆。……レンレンってね」
声を潜め、顔を近づけて、向井さんが何か耳打ちしようとした時のことだ。
「……ハル」
やけに殺気の籠った重低音に振り返ると、開いた教室のドアの向こうに蓮子が仁王立ちで立っていた。タオルを乗せた半乾きの髪が何だか色っぽい。
向井さんは急に何かを思いついた、というようにぽんと手を打って立ち上がった。
「そーだ、ハル今日は用があるんだったぁ。小椋っち、レンレン、バイバーイ。ついでにこてっちゃんもバイバーイ」
さっきまでの様子は嘘のように、向井さんは素早く荷物を纏めて教室を出ていった。
「俺はついでかよ……」
蓮子の数歩ほど後ろに立っていた哲己くんが、ため息交じりに呟く。
「二人とも、お疲れさま。記録更新できた?」
「私の方は全然。水泳始めたばっかりだし」
腕まくりした蓮子の腕には、まだ痛々しい傷がくっきりと残ってる。だけど日焼けをしたせいか、目立たなくなってきているのは確かだ。
「こてっちゃんの方は凄いよ。どんどん記録縮めて。この分なら、一年のうちに大会に出れるかもって顧問も言ってた」
「すごい! 哲己くん、すごいね」
「へへ、それほどでも無いって」
哲己くんは照れたように、後頭部を掻いた。そんな彼を横目に、蓮子が隣に来て、わたしだけに耳打ちをする。
「それがねー、物好きもいるもんで、こてっちゃん目当てのギャラリー凄いんだ、これが。……告るんなら手遅れになんないうちにしといた方がいいんじゃない? 好きなんでしょ、このバカのこと」
「ん。でも、焦っても仕方ないしね。……それに、わたしも当分は蓮子だけで十分かな」
「……今、何か俺の悪口言ってただろ」
哲己くんの拗ねたような声にわたしたちはいっせいに噴き出した。
「「何でもない」」
納得いかない、と眉を顰めた哲己くんを尻目に、わたしと蓮子は手を繋いだ。
他の部分は日に焼けたにも関わらず、相変わらず真っ白な蓮子の掌。でもいつかとは違い、しっかりと熱を帯びて暖かかった。それが夏が近づいているせいなのか、蓮子の気持ちの変化なのかは、わたしには一生分からないだろうけれど。
少なくとも、わたしたちの梅雨は明けようとしていた。
この作品が面白いと思ったら、クリックしてください↓
よかったら、感想を聞かせて下さい。

友達ごっこ感想フォーム |
よかったら感想をお聞かせ下さい。無記名でもO.K.
|
|